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「軍の兵站付属施設」としての慰安所について

 永井は、昭和12年に改正された「野戦酒保規程改正ニ関スル件」(陸大日記甲輯-昭和12年3月25日)に示す野戦酒保規定第1条に「野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得」とする規定があることをもって、慰安所が軍の兵站付属施設であるとしている。また、同第6条の「平時ノ衛戍地ヨリ伴行スル酒保請負人ハ軍属トシテ取扱ヒ一定ノ服装ヲ為サシムルモノトス但シ其ノ人員ハ歩兵、野砲兵及山砲兵聯隊ニ在リテハ三名以内、其ノ他ノ部隊ニ在リテハ二名以内トス」という規定をもって、「日中戦争期につくられた陸軍の慰安所は、軍の兵站施設である野戦酒保の付属慰安施設であったのであり、その経営を受託された慰安所業者は軍の請負商人であり、可能であれば、軍属の身分を与えられ、制服の着用が許されたのだと考えられる。」と結論付けている。  また、永井は「彼らが直接朝鮮や台湾で女性を集めたとすると、制服を着用しているので、軍人と見なされる可能性は高い。」と軍支給の制服を着用した軍属たる貸座敷業者が朝鮮、台湾において慰安婦の募集を行った事を示唆している。

 永井の言う「兵站付属施設」の定義が不明であるが、「兵站付属施設」なるものが、軍の兵站組織に組み込まれた不可分の組織であるならば、陸軍省が手配した後、軍の指揮系統を通じて各部隊に命じて実施させると同時に、その調整、統制、実施の監督を行う業務となる。しかしながら、昭和18年11月1日付マレー軍政監部達に示す規定・規則がマレーにおける慰安所の統制を行い、現地に駐留する第2師団がその統制を行っていない事実は、これは「慰安所」の開設・運営が編成内の組織の指揮系統に基づく兵站活動ではなく、その統制は、民間人に対する行政上の措置の一環であった事を示している。

 また、野戦酒保規程第6条に「野戦酒保ノ経営ハ自営ニ拠ルモノトス、但シ止ムヲ得ザル場合(一部飲食物等ノ販賣ヲ除ク)ハ所轄長官の認可ヲ受ケ請負ニ依ルコトヲ得、平時衛戍地ヨリ伴行スル酒保請負人ハ軍属トシテ取扱ヒ一定ノ服装ヲ為サシムルモノトス、但シ其ノ人員ハ歩兵、野砲兵及山砲兵聯隊ニ在リテハ三名以内、其ノ他ノ部隊ニ在リテハ二名以内トス」とあり、野戦酒保の人員で軍の組織に組み込まれるのは、平時から内地において軍の請負をしており、かつ部隊と同行してきた業者のみであり、その人数も歩兵聯隊(3000人以上)で3名と少人数であり、近衛第2師団(1943年当時マレーを警備)を例にとっても、3個歩兵連隊、野砲1個連隊、その他の部隊11個部隊、最大で合計34名の請負業者を軍属に編入できるに過ぎない。
 この事は、軍の野戦酒保に設置された慰安所が業者による経営であることから、「軍経営」でもなく、また、軍の組織に不可分に組み込まれた軍属としての存在でもない、商法上の作業及び労務の請負いを行う商行為を行う「請負業者」に過ぎない事を示している。請負である場合、労働者に対する指揮命令権は発注者ではなく、請負業者に存在し、この点からも軍が慰安婦を自らの兵站組織の一部に組み込んだと言う事はできない。
 永井は、野戦酒保規定第6条をもって「この条項の運用次第では、慰安所の業者が軍から貸与された制服を着用することになっても別に不思議ではない。」「慰安所業者は軍の請負商人であり、可能であれば、軍属の身分を与えられ、制服の着用が許されたのだと考えられる。」と述べているが、軍属に任用可能なのは、「平時衛戍地ヨリ伴行スル酒保請負人」と明記されており、平時の衛戍地内において、既に請負業者として契約していた者に限定されている。内地においては軍内に慰安所は設置されていないので、貸座敷業者が衛戍地から軍に伴行することはあり得ず、貸座敷業者は軍属任用の条件を満たさない。永井がどのような理由で自らの主張に不都合な規定の条文を無視したのかは不明であるが、条文をどのように「運用」しても、慰安所の業者が軍属としての資格を公式に与えられ、軍から貸与された制服を着用する事は「不思議」であり、「軍属の身分を与えられる事は、制度上考えられない」ことになる。
 また、永井は、「日本軍の慰安所政策について」及び「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」中において、軍は公序良俗に反することをもって、その募集を隠蔽しようとした旨を強調しているが、貸座敷業者に軍支給の制服を貸与して募集させたとする永井の主張は、前述の永井自らの主張と完全に矛盾するものである。


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Last-modified: 2014-10-18 (土) 15:45:59 (1280d)