郭若虚『図画見聞誌』「日本…今則臣属高麗也」について

 「日本は高麗に臣属していた」という主張は、NAVER上では2004年頃に流行を見た。当初、「画」の正字「畫」を「書」と誤読して「図書見聞誌」と主張する韓国人もおり、日本人の失笑をかったが、この誤りは次第に訂正された。この話題は衰えたが、それでも時折、韓国側から投稿されることがある。

 韓国側投稿は定型化しているので、以下に2例のみ掲載する。

http://bbs3.worldn.media.daum.net/griffin/do/country/bbs/read?bbsId=C001&articleId=5090

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1610776


 韓国側から投稿される引用文は、以下の通りである。

倭国乃日本国也。本名倭。既耻其名。又自以在極東。因号日本也。今則臣属高麗也。

 この記述自体は『図画見聞誌』巻六に存在する*1。しかしながら本書は、その書名の通り「書画に関する見聞」を記したものである。「なぜ高麗の図画に関する記述の中に、日本に関する記述が存在するのか?」という疑問を持つことが、本引用理解の第一歩である。(原書を確認すれば、一目瞭然なのだが…)

 さて、「何故日本に関する記述が存在するのか?」という設問に答えることにしよう。
 実のところ、この記述は、高麗国の条の「本文」では無く、「割注」の記述である。つまり、この引用を理解するために必要な前提である「本文」が韓国側主張時には欠落しているのであり、本文には、日本についての解説を必要とする何等かの記述が存在する、ということなのである。

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 長文化を防ぐために、割注の附された段の要点のみを記せば、以下のとおりである。

1)彼使人。毎至中国。或用摺畳扇為私覿物。
(彼の国(高麗)からの使者は、中国に至る毎に、摺畳扇を手みやげにする場合がある。)

2)(中略)謂之倭扇。本出於倭国也。近歳尤秘惜、典客者蓋稀得之。
(これを倭扇という。倭扇はもともとは倭国に産出するものである。しかし倭国の倭扇は近頃ではとりわけ秘惜されており、蛮夷との外交を司る鴻臚寺(典客)でさえも、おそらく倭扇を得ることは稀であろう。)

 こうした前提の下に割注「倭国乃日本国也。本名倭。既耻其名。又自以在極東。因号日本也。今則臣属高麗也。」を読むと、

(本文で述べた)倭国とは、日本国のことである。(日本国は)もともとの名を倭といったが、既にその(倭という)名を恥じ、また自国が極東に在ることを理由として、日本と号したのである。(高麗の使臣が倭扇を中国にもってくることから考えると、おそらく)今日本は高麗に臣属しているのであろう。

という意味であることが分かる。

 つまるところ、「高麗の倭扇」という、ある意味、奇っ怪至極な存在を説明する為に附されたのが、「今則臣属高麗也」という憶測なのである。


付言
 では、高麗が日本の扇のコピー品を中国に持ち込んでいたのか、と言えば、必ずしもそうとは言えない。少なくとも、同じく倭扇と見なされる扇であっても、そこに描かれる図案には高麗なりの特色があったようである。宋・鄭椿『画継』巻十、雑説、論近には、高麗の扇について「所画。多作士女乗車。跨馬踏青。拾翠之状。」と記している。『図画見聞誌』も高麗のもたらす扇の図案の一つとして「婦人鞍馬」をあげている。

 蘇東坡が日本扇をうたい、あるいは明代にも盛んに流通したことなどから、日本扇はやや人口に膾炙している感もある。しかし宋代には、高麗扇もまた、「千年淳風古箕子」*2等とうたわれる、それと知られた存在であったのである。


*1 『図画見聞誌』巻六、近事、高麗国条。ただし、同巻目次は「高麗図」に作る
*2 謝銭穆父恵高麗松扇

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Last-modified: 2008-04-05 (土) 09:42:14 (3907d)