東京で開催された高麗磁器展示競売会

平成17年8月5日

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東京で開催された高麗磁器展示競売会

※李が根拠として提示している「カタログ」は「展覧会」を伝えるものであり、「競売会」は読み取り得ない。訳者が本節末に注記する『考古界』の記事には売品の陳列が別途存在したことが記されている。あるいは、この見出しは訳者の手によるものか。

 さきにも述べたように、伊藤博文は、蒐集した高麗磁器のなかから逸品の一〇三点を選び、明治天皇へ献上している。また、華族や同僚の重臣たちにも、ひとつの墓から発掘した全量に相当するほどの高麗青磁を惜しげもなく贈っている。
 こうした伊藤の贈答行為と、さまざまなルートでソウルに集められてくる盗品の大量の搬入は、日本人上流社会と蒐集家の間に高麗青磁ブームをもたらすことになる。そのブームを語る例として、「韓日合併」の前年(一九〇九年)秋に、東京で開催された大規模な「高麗焼展覧会」がある。
 いま手元に薄い皮革と絹の布地で装丁された豪華なカタログがある。表題には「高麗焼」と書かれ、序文にはつぎのように記されている。

※校勘者が参照した『睥鐓董挧粗には、「偖今回三府御大家御祕藏の朝鮮睥鐓討竜品御出品相願展覽會開催候處非常の盛會の光榮を賜はり候に就ては斯く多數の稀品を空しく一顧に終るは甚遺憾と存し茲に寫本となし且つ御參考迄に睥閙歴史の一端を述へ以後日の紀念と仕候」とあり、奥付は明治四十三年二月付である。李の参照している「カタログ」がこれと同一のものか否かは断じ得ないが、李引用文は「且つ御參考迄に高麗燒歴史の一端を述へ」に相当するであろう部分からなされており、同じ版であると考えられる。ただし同書には序は無く、且つ冒頭文も前引の通りであり、李の記す「序文」は存在しない。

 「ここに展示されている高麗焼は、すでに他国に流出したものをのぞき、韓国では地上で一品たりともみられない品々である。すべて古墳からの出土品である。……高麗焼の美術品としての価

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値は、好事家の間でむかしから称賛されてきたし、貴重品扱いをされてきた。しかし、高麗時代の松都(開城)の窯場を本産地とする精巧な逸品は、いまだ世に広く知られていない。だから出土品の高麗焼と白磁に展示会ではじめてふれた人は、これらが本物の高麗焼などとは信じられないであろう。高麗焼が内地に来たのは、三〇年来のことである。……高麗焼の出土品をみた場合、特に精巧なのは松都を中心に百里内外の墳墓のもので、江華島の貴族の墓からも出土している。たまにではあるが、海州からも出る。全羅道や慶尚道の出土品も高麗焼にはちがいないが、松都周辺のものと質が少々異なる」
 カタログの筆者は、いち早く韓国に渡り、高麗青磁の盗掘を陣頭で指図したことがあったのか、それとも盗品の窩主買いを裏でそそのかしたなどの経歴があるかと思われるほど、当時の状態と実情にあかるい。この筆者には罪の意識はまったくなく、平然とつぎのように筆をすすめている。
「現在、わが日本人が韓国各地に入りこんでいるので、もし品物がまだ(古境内に)残っているならば、心ずや掘り出さなければならない」
 また、日本人が盗掘の主犯であることを十分に知りながら、犯人として濡れ衣を着せた韓国人の行動を作為的に誇張し、同族の悪業には一言半句もふれず、こうも書いている。
「高麗時代のすべての墳墓は、長い年月にわたって風雨にさらされ崩れている。日本人には、墳墓かどうか見分けがつかないが、韓国人は鉄棒で古墳らしきところを突っつき、なかの反響音で古墳と見定め、掘るのである」

※「日本人が盗掘の主犯であることを十分に知りながら、犯人として濡れ衣を着せた韓国人の行動を作為的に誇張し、同族の悪業には一言半句もふれず」は李の憶説。
[引用は明らかに重訳であり、かつ省略分が膨大であるため、以下に原文を掲示する。なお、李引用文に相当する部分は、これを青字で示した。]
睥鐓討遼楙譴版代
(中略)
偖此睥鐓討榔Δ簾睥鐵四百七十五年間に韓半嶋の各所に於き焼き出された陶器の總稱で尤も精巧にして進歩したるものは睥錣亮麌椶任△弔疹湘圓鮹羶瓦箸靴峠个觸蠅ら睥鐓討肋湘圓瞭短妻の如く思惟さるヽに至つたのです
此睥鐓討聾鼎外國に渡りたるものは格別朝鮮の國では一品でも地上に此を見る事能はず皆古墳から掘出するのである韓人は今此を睥鐚Т鎔燭腕鼎妨鉄錣箸皹召丗曲茲頬笋瓩燭襪發里覆襪茲衞輯錣箸皹召劼泙儒家の所謂明器と一樣であります

※韓国人が、古墳から掘り出された「睥鐓董廚鮃睥鐚Т錙Ω鉄錙μ輯錣噺討鵑任い燭海箸記されており、これら文物が韓国人の認知の埒外で扱われた物ではないことが読み取れる。この記述は、後段にみえる韓国人による発掘の話と合わせて考えるべきであろう。

(中略) 睥鐓討硫礎
さて此睥鐓討糧術上の價値如何と云ふに我國の好事家には早くから愛翫されたるもので我國で陶器の貴重視られて居るものヽ中、十中八九は睥鐓討任△けれども此貴重視されて居る我日本在来の睥鐓討睥鐓討龍某茲鯊緝修卦錣襪發里覆蠅簇櫃筺井戸、御本、熊川、金海、唐津、魚屋、堅手、刷目、伊良保、三嶋、雲鶴、絵睥錙白睥錙等其種類は甚だ多いけれども三嶋、雲鶴、絵睥錙白睥錣鮟きては睥鐓討任覆朝鮮焼なりとの説さへある位いで其三嶋、雲鶴、絵睥錙白睥錣盒呂紡脅鑪爐琉貍部分のものが茶人間に愛翫されたに過ぎない睥鏤代松都を中心として焼かれたる本場物の精巧なるものは未だ世間に広く紹介されて居ないことは私の斷言して憚らぬ所である

※李は「高麗焼の美術品としての価値は、好事家の間でむかしから称賛されてきたし、貴重品扱いをされてきた。」とする。然し原文は、日本で愛翫されていた日本に伝世した高麗焼と呼ばれるものは「甚だ多いけれども三嶋、雲鶴、絵睥錙白睥錣鮟きては睥鐓討任覆朝鮮焼なりとの説さへある位い」であり、「三嶋、雲鶴、絵睥錙白睥錙廚癲峩呂紡脅鑪爐琉貍部分のものが茶人間に愛翫されたに過ぎない」と記している。李は高麗青磁と広義の高麗焼を混淆している。

故に今古墳中から出る精巧なる白磁、青磁、雲鶴物の大作物の如きは今始めて此に接したる人は皆睥鏤代の製作なるを疑ふのである此れが漸く内地に入込み韓人が世上に出て来たのは僅に三十年以來の事で我日本人が睥鐓討魄Υ紊垢襪髪召媚を知てからの事である故に睥鐓討糧術上の價値は未だ世の問題になる程度迄に立至つて居らぬ併し一度此れに接したる人は皆其卓絶したる技能に驚かぬ物はない殊に睥鐺端譴寮勅彫鏤紋(雲鶴手)の如きは世界的特技として嘆賞措かざる所のものである韓國は二千年以上の歴史を有する古國である然るに其美術品として地上にあるもの我々外國人の一顧の價を有するものは先づ一品もないと云つてよい況んや此荒涼慘憺たる現今の實況を目撃せる眼を以て此睥鐓討鮓たる人は誰かは其の間に疑を容れざるものがあるか今此没趣味なる人の先祖が何うしてかヽる美術的技能を以つていた乎我々今此隠れたる世界的美術を發揮して世間に紹介するのは亦無用の業でないと信じます

※李は「高麗焼が内地に来たのは、三〇年来のことである」とするが、原文は「内地に入込み韓人が世上に出て来たのは僅に三十年以来の事」である。その上で、「我日本人が睥鐓討魄Υ紊垢襪髪召媚を知てからの事である」とあり、日本人の高麗焼愛翫を知った日本人以外、文脈からすれば韓国人が、これを取り扱ったことが読み取れる。
 更に、「睥鐓討糧術上の価値は未だ世の問題に程度迄に立至つて居らぬ」のであり、李の述べる「日本人上流社会と蒐集家の間に高麗青磁ブームをもたらすことになる。そのブームを語る例」としてこの展覧会を例示するのは、誤りである。

(中略)
睥鐓討僚仆
次に睥鐓討僚仆蠅鮓るに何處の墳墓からても掘出さるヽもので無い殊に其精巧なる物は地方を限られてある先つ松都を中心として十里内外の所から出るものが本場とも云ふ可き精巧なる物が出る江華嶌からも精巧なものが出た江華嶌には睥鏥人の墓があるからである平安咸鏡中清江原黄海等からは余り出た事を聞かぬ黄海道の一部分海州等よりも折々出る全羅の一部分慶尚道から出る物は睥鐓討冒螳磴覆い松都から出る物とは趣きが異つて居る現今は我日本人が何處にも入込んて居るから若し有る物とせば必ず出なければならぬが未だ聞かぬ是等何か歴史的人種的關係あるらしくあるけれども此れは他日の研究に譲る

※李の述べる「百里内外」は「十里内外」の誤。また李は「現在、わが日本人が韓国各地に入りこんでいるので、もし品物がまだ(古境内に)残っているならば、心ずや掘り出さなければならない」と解するが、相当する原文は「現今は我日本人が何處にも入込んて居るから若し有る物とせば必ず出なければならぬが未だ聞かぬ」。原文の前後を文脈を参照しつつ語を補えば、「全羅の一部慶尚道から出る物は睥鐓討冒螳磴覆い松都から出る物とは趣きが異つて居る。現今は我日本人が何處にも入込んて居るから若し(慶尚道に松都から出る物と趣きを同じくする高麗焼が)有る物とせば必ず(韓国人の発掘を経て日本人の手に渡り世に)出なければならぬが未だ(出土の例を)聞かぬ。」の意であろう。先には韓国人による高麗磁器の取り扱いの、後に韓国人による発掘の文章が続く点にも留意が必要であろう。

睥鏤代の墓は皆風雨に曝され我々の目には其見當を附ける事が出來ぬまで頽廢してある其筈で五百年以上壹千年を経たもので而かも無縁で手入するものが無い此れを韓人は能く見分けるのである墓は睥鏤代も風水説により選定したるものであるから地中は空になつて居るのである韓人は棒を以て此れを衝き其音響に由て鑑定して掘出すので有る尤も貴人の墓は今も畨人が儼然と控へ居るから特別で有る墓は極々浅く地下三尺乃至四尺位のもので有そうで貴人の墓も表面丈けは儼然としてあるけれども大概は皆發掘されて了まつたらしい

※李の引用せぬ部分には、高麗時代の墓が「無縁で手入れするものが無い」こと、また番人の居るような「貴人の墓」でさえも「表面丈けは儼然としてあるけれども大概は皆発掘されて了まつたらしい」ことを述べている。また、韓国人が墓の発見発掘に有用な技術を有していることが記されている。

(p.29)
 さて、カタログには、五人の華族と東京・大阪・京都などの二一人の蒐集家が所蔵している一二〇点余の高麗磁器が、写真入りで紹介されている。そのなかには、現在韓国にあったならば、国宝もしくは重要美術品にただちに指定されるような逸品が多い。

※当該「カタログ」掲載写真の磁器は、たとえば蓋などは開かれ脇に置かれた状態で写されている。これを別個の物と見なし、それぞれを一点として数えるのであれば、李の云う「一二〇点余」は、総掲載数として誤りでは無いが、京城在住の四名及び会主の伊藤弥三郎・西村庄太郎の出品物を含む数であり、「五人の華族と東京・大阪・京都などの二一人の蒐集家が所蔵している」は誤りである。

 また、注目すべきことほ、当時ソウル滞在中の蒐集家、鮎貝房之進や、さきにのべた骨董商の近藤、それに白石、赤星たちが自分の所蔵品を出品していることである。
 (訳者註 『考古界』第八篇第九号(明治四二年)に、和田千吉が「高麗焼展覧会」という小文を書いている。このなかで五名の華族の名をあげ、そのほかにも京城在住の出品者として、近藤佐五郎、白石益彦、赤星佐七、鮎貝房之進をあげていることから察して、カタログの筆者は和田千書かと思われる)

※『考古界』掲載の記事は彙報にすぎない。彙報執筆者を以て「カタログ」執筆者と断ずるのは、不適当であろう。また、和田は当時小石川区在住。


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Last-modified: 2005-08-05 (金) 01:02:43 (4760d)