高崎宗司「日韓会談における文化財返還交渉について」『朝鮮史研究会論文集』23、1986.3.31

平成17年6月29日掲載

  一 文化財返還問題の歴史的背景

 一九八三年八月十五日付の『サンケイ新聞』に、「文禄慶長の役、秀吉軍と戦った朝鮮軍・民兵の碑、靖国神社境内に『北関大捷碑』」という記事がでている。記者によれば、この貴重な石碑は一七〇九年に現在の平壌近くに建立されたものであるが、一九〇五年、日露戦争のため朝鮮に進駐した第二師団第十七旅団長の池田正介少将が発見し、翌一九〇六年、東京に持ち帰ったものである。

※「貴重な」という評は「記者によ」るものではなく、「東京韓国研究所の崔書勉院長によれば」として発言者が崔書勉であることを明示されている部分である。当該記事に崔書勉の名が明示されているにもかかわらず、崔の著作に遡らず、あえて「記者によれば」としている理由は未詳である。

 一九〇五年、日本が朝鮮を保護国にしたころから、日本人による朝鮮文化財の日本への搬出が盛んに行なわれるようになったといわれているが、右の事実もその一例と言えるであろう。
 一九一〇年に日本が朝鮮を併呑すると、朝鮮の文化財は自動的に日本の文化財とされてしまった。
(中略)

※第二次日韓協約は1905年11月17日締結。「城站発第五十八号」には、明治三十八年十月二十二日付で北関大捷碑の第二南越丸搭載が記されており、北関大捷碑搬出は「保護国化」の前の出来事であって、高崎の主張するように「保護国化(中略)を背景」にしたものでは、そもそも有り得ない。  また、高崎の言う「朝鮮の文化財」が、当該時代にすでに文化財であったか否か、なんら検証を行っておらず、主観を遡及させているにすぎない点には、留意が必要であろう。


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Last-modified: 2005-06-29 (水) 22:19:06 (4797d)