靖国神社の北関大捷碑返せ 韓国の独立紀念館が返還へ署名運動」『毎日新聞』1990.08.16(東京朝刊22頁)

平成17年6月29日掲載

 ◇「民族の誇りの象徴」
 韓国の国立「独立紀念館」=安椿生館長(79)=は、日本からの独立記念日に当たる十五日、日本政府に対し、東京・靖国神社内にある石碑「北関大捷(しょう)碑」の返還要求を公式に行うよう、韓国政府に求める署名運動を始めた。この碑は、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、加藤清正軍の攻撃を朝鮮の義兵団(民間義勇軍)が破り、大勝利した様子を記録したもので、日露戦争当時、日本軍によって日本へ持ち帰られた。紀念館関係者は、「民族的な誇りの象徴で、歴史的価値の高い文化財が、靖国神社の片隅で、放置されているのは、しのびがたい」としている。
 碑は高さ百八十七センチ、幅六十六センチ、厚さ十三センチ。李朝の粛宗時代(一六七五―一七二〇)、現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の咸鏡北道吉州郡臨溟駅付近に建立された。「北関」は咸鏡道北部を指し、「大捷」は大勝利を意味する。秀吉の第一次朝鮮出兵(文禄の役、一五九二)で現地を攻めた加藤清正軍に対し、朝鮮官軍が敗走した後、地方武官だった鄭文孚が民兵の義兵団約七千人を組織、逆に清正軍を撃破した様子が、表裏両面に千五百字余りの漢字でびっしり刻まれている。日露戦争当時(一九〇五)、現地を訪れた旧日本軍の池田正介少将が、戦利品として日本に持ち帰ったらしい。なぜ靖国神社にあるかは記録がなく不明だが、境内北端の鳩舎わきに置かれ、茂みの中でハトのふんで汚されている。
 碑が靖国神社にあることは、韓国では以前から知られており、現在、全員が韓国内に移住している鄭文孚の子孫や、韓国の歴史研究家らが、再三、在日韓国大使館を通じて日本政府に返還要請をしたというが、日本政府は「もともと北朝鮮の地にあった石碑で、韓国への返還は難しい」として話は進まなかった。このため安・独立紀念館長は「韓国に返還されれば碑文の歴史的価値から間違いなく国宝になる。碑が日本へ持ち去られた当時は、南も北もなかった。韓国から返還要求してもおかしくない」として、国民的な返還運動を起こすことにしたという。近く碑文の内容や靖国神社でどのように扱われているか、などを韓国のマスコミに発表して世論を喚起する考え。


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Last-modified: 2005-06-29 (水) 22:18:12 (4858d)