第二章 朝鮮半島史の編纂 (同書P.4-7)

 日鮮両民族は古来時に離合親疎の変遷ありしも、歴史上常に密接の関係を持続し、遂に日韓併合に至りしが、朝鮮には未だ古今に亙り、且正確簡明に記述したる歴史無きを以って、公正なる史料に據り、官廳竝びに一般の参考となすべき朝鮮半島史を編纂する必要を認め、大正四年七月中樞院に於て之が編纂に着手せり。是朝鮮に於ける歴史編纂事業の第一歩なり。斯くて大正五年一月中樞院賛議柳正秀以下十五名の賛議及び副賛議に編史事務の擔任を命じ、同年三月には京都帝國大学教授三浦周行・同大講師今西龍及び東京帝國大学助教授黒板勝美の三氏を嘱託とし、又同年七月左の如き編纂の要旨を定め、以て當局の本誌を明らかにせり。

 朝鮮半島史編纂要旨

 百般の制度を刷新して混沌たる舊態を釐革し、諸種の産業を振作して貧弱なる民衆を拯濟するは朝鮮の朝鮮の施政上當面の急務たりと雖も、此等物質的の経営に努むると共に、教化、風紀、慈善、医療等に関し適切な措置を執り、斯民の智能徳性を啓発し、以て之を忠良なる帝國臣民たるに愧ぢざるの地位に扶導せむことを期せり。今回中樞院に命ずるに朝鮮半島史の編纂を以てしたるも、亦民心薫育の一旦に資するの旨趣に外ならず。

 一般植民地の統治を概論する者、動もすれば、曰く新附人民を教育し、其の智見を進むるは母國に忠順なる思想を養ふ所以に非ずして、却て不平反抗の気風を助長するの結果に終るを常とす。今彼等をして朝鮮古来の歴史を繙閲せしむるの便を圖るが如きは、偶々以て其舊態を追懐せしむるの料を供するに過ぎざるべしと。斯くの如きは欧米の普通植民地を以て朝鮮を律する僻見のみ。彼に在りては母國と植民地は地勢懸絶、人種亦相異り、永久に宗属に別れて到底同化融合すべからざるの事情あり。是を以て母國は植民地の利を収るに急にして、其の幸福を圖に遑あらず。植民地も亦母國に對し、慶弔禍福を同じうするの情誼を生ずるの由なきは自然の勢なり。帝國と朝鮮との関係は之に反して疆域相接し、人種同じく、又其の制度においても両々分立するに非ずして、渾然一大邦土を構成し、互に利害休戚を倶にするものなり。故に朝鮮人を放任して、其の日進の新歩の遅るるを省みざるが如きは、固より國家の基礎を鞏うする所以に非ず。況や彼等を無知蒙昧の域に抑制せむとするは、今日の時世において全然不可能の事に属するに於ておや。寧ろ飽く迄彼らを教化して人文の域に進め、合同一致の力に由り、帝國前途の隆昌を圖つは萬世の良計にして、併合の宏謨眞に茲に存せりと甲謂すべし。既に斯民を教化するを目的とする以上は、固より其の耳目を掩ふの策に出づべからざるのみにならず、益々教化の本旨を鮮明ならしめざるべからず。朝鮮人は他の植民地に於ける野蛮半開の民族と異りて、読書作文に於て、敢へて文明人に劣る所あるに非ず。古来史書の存するもの多く、亦新に著作に係るもの尠しとせず。而して前者は独立時代の著述にして現代との関係を缺き、徒に独立國の舊夢を追想せしむるの弊あり。後者は近代朝鮮に於ける日清、日露の勢力競争を叙して朝鮮の向背を説き、或は韓國痛史と稱する在外朝鮮人の著書の如き事の真相を究めずして、漫りに妄説を逞しうす。此等の史籍が人心を蟲惑するの害毒、真に言ふに勝へざるものあり。然れども之が絶滅の策を講ずるは徒に労して功なきのみならず、或は其の伝播を激励するやも測るべからず。寧ろ舊史の禁壓に代ふるに、公正的確なる史書を以てするの捷徑にして、且効果の更に顕著なるに若かざるなり。是れ朝鮮半島史の編纂を必要とする理由の主なるものとす。若し此の書の編纂なからむか朝鮮人は漫然併合と聨絡なき古史、又は併合を呪詛する書籍を読むに止まるべし。斯くして荏苒年所を經が當面觸の現象に馴れ、今日の明世が一に併合の恩恵に由ることを忘却し、徒に舊態を回想し、却って改進の気力を失ふの虞なしとせず、斯くの如くんば如何にして朝鮮人同化の目的を達するを得んや。

 上述の如き趣旨により半島史の編纂に著手せられたるが、本要旨は此の後に於ける編史事業の根本精神となりしものなれば、特に注意を要すべし。かかる意圖の下に大正六年は専ら史料の蒐集に力め、大正七年一月には事業の進程に鑑み、特に中樞院に編纂課を設け、以て半島史の編纂に一層の権威を加え之にたらしむることとせり。半島史編纂に就きては、執筆に先立ち編纂の骨子たるべき章節の細目を制定し、然る後起稿に著手する方針を定め、各擔任者に於ては夫れ夫れ史料を研鑽討究したる結果、全編を上古三韓・三國・統一後の新羅・高麗・朝鮮・朝鮮最近史の六編に別ち、更には之を章節に分け、各節には更に細目を付して起稿することとなれり。 又従来朝鮮に行はれたる各種の年表は、朝鮮の紀年に就き錯誤あるを免れざるを以て、半島史編纂の準繩となるべき正確な年表を作成する必要を認め、併せて之に著手せり。斯くて大正七年度末に至るまで専ら資料蒐集に努めたるが、新に発見せらるるもの想像外に多く、編纂予定の如く進捗せざる為、年限延長の止むなきに至れり。斯くて上古三韓・三國・統一後の新羅及び朝鮮の四編に就きては一応脱稿したるも、高麗・朝鮮最近史の二編は脱稿に至らず。其の職員の轉出死亡等ありて、之が後任を用意に得難き際、偶々大正十一年一二月朝鮮史編纂委員会設置させられたるを以て、半島史編纂事業は一応中止することとなれり。


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