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上海派遣軍及び中支那方面軍並びに在外公館付武官室について

 永井は、「陸軍武官室とは、正式には在中華民国大使館付陸軍武官とそのスタッフを意味する。」であり、陸軍武官室は、1938年2月には中支特務部と改称されたとして、その位置づけを「軍事面での渉外事項や特殊な政治工作を担当する陸軍の出先機関であり、上海戦がはじまってからは、上海派遣軍や中支那方面軍の隷下にある陸軍特務機関として第三国の出先機関や軍部との交渉、親日派中国人に対する政治工作、さらに上海で活動する日本の政府機関や民間団体との交渉・調整窓口の役割をはたした。」としている。


 在外公館付武官室は外務省に隷属する組織であって、在外公館駐在武官の給与は外務省予算から支給される。また実業務上は陸海軍省を窓口としており、特定の部隊指揮官に隷属する組織ではない。また、本件にいう「武官室」は、在中華民国大使館付武官室ではなく、上海総領事館付武官室である。

 「中支特務部」が何を意味するのか不明であるが、「中支那派遣軍特務部」を示すのであれば、中支那方面軍特務部は、占領地における政策その他軍の統帥の管轄外の事務を所掌する中支那方面軍の参謀組織であって出先機関たる「特務機関」ではない。
 特務機関は中支那方面軍隷下で各地に上海特務機関、南京特務機関等、地域毎に設置されているものである。そもそも、上海派遣軍司令官と中支那方面軍司令官という二人の指揮官の下に一つの組織を隷属させることなど軍隊ではあり得ない。&br;&br;
 また、中支特務部が軍事面での渉外事項を担当したとの主張があるが、支那事変以降、日本は中華民国駐在武官を廃止し、その業務を北支那、中支那、後には支那派遣軍に担当させてはいるものの、その組織、機能をそのまま各方面軍、派遣軍特務部として改称した事実はない。中支那方面軍及び支那派遣軍には渉外事項を担当する部署として渉外部が存在し、渉外部長は陸士32期の宇都宮直賢中佐が歴任し、「六月四日福建省上杭所在独逸加特力教会空爆被害ニ関スル件」(上海総領事発 第三五七号電昭和14年6月9日)等の史料でも明かなように、渉外に関する事項については領事館に残った海軍武官室のカウンターパートとして活動している。

 永井の軍組織に関する知識は全般に、他の史料等による検討を経ずに、自らの主張に沿う、自らが持っている印象のみで語る傾向が強く、実際の軍組織やその任務と乖離しているものが見られる。


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