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|BGCOLOR(#9999ff):~年|BGCOLOR(#9999ff):~月|BGCOLOR(#9999ff):~日|BGCOLOR(#9999ff):~事象|
|1882|7|23|壬午事変|
|~|~|24|閔氏政権打倒、大院君再執政|
|~|8|26|清の出兵&br;(馬建忠、大院君を捕縛し保定に監禁・閔氏政権復活)|
|~|~|26|済物浦条約&br;(公使館護衛としての軍隊駐留権等獲得)|
|1884|12|4|甲申の変&br;(金玉均ら改革派独立党がクーデターを敢行、閔泳穆らを殺害)|
|~|~|6|閔妃らに要請された清国軍が漢城王宮を奪回&br;(独立党のクーデターは失敗)|
|1885|4|18|天津条約調印&br;(朝鮮からの両国軍の撤退、軍事教官派遣の停止、朝鮮出兵の際の相互事前通告)|
|1888|?|?|三浦梧楼、予備役編入|
|1891|4|27|大津事件&br;(レファレンスコード:A03023044300 大津事件○欧文新聞翻訳)&br;(津田三蔵は、5月27日謀殺未遂罪で無期徒刑)|
|1894|3|29|朝鮮全羅道で東学党蜂起&br;(東学党の乱 レファレンスコード:B03030207400 朝鮮東学派の起因並に内乱の事)|
|~|5|30|東学党、全羅道をほぼ制圧。朝鮮、清への援助要請|
|~|6|2|閣議、清国が朝鮮へ派兵したことを受けて、朝鮮へ混成一個旅団の派遣を決定&br;(レファレンスコード:A03023061500 朝鮮国内乱に関し兵員派遣に関する方針の件)|
|~|~|7|天津条約に基づき、清国に朝鮮への派兵を通告|
|~|~|9|清国軍、朝鮮の牙山に到着|
|~|~|10|東学党軍と朝鮮政府が全州和約を結び和睦|
|~|~|12|朝鮮派兵先遣隊、仁川に到着|
|~|~|16|清国に朝鮮の内政改革を共同で行う提案|
|~|~|22|清国、日本の朝鮮共同改革案を拒否|
|~|7|23|日本軍、朝鮮王宮を占領し、朝鮮軍を武装解除&br;大院君擁立|
|~|~|27|開化派中心の政権誕生&br;(金弘集・金允植・魚允中らによる、第一次甲午改革の始まり)|
|~|8|1|清国に宣戦布告&br;(レファレンスコード:A03020165600 御署名原本・明治二十七年・詔勅八月一日・清国に対し宣戦)|
|~|12|17|第二次金弘集内閣&br;(朴泳孝との連立内閣)|
|1895|1|7|洪範14条公布|
|~|3|30|日清休戦条約調印|
|~|4|17|下関条約締結|
|~|~|23|露仏独三国の遼東半島遷付勧告(いわゆる三国干渉)受領|
|~|~|29|英国政府の局外中立決定報告|
|~|~|30|三国政府の勧告に応ずる覚書提出すべき旨訓令の件|
|~|5|5|三国干渉の受諾|
|~|6|4|対韓政略に関する閣議決定&br;(将来の対韓政略は成るべく干渉を息め自立せしむるの方針を執るべし)|
|~|7|6|閔妃、ロシア軍の力を借りてクーデターを起こし権力奪回|
|~|~|~|朴泳孝、閔妃殺害計画を為したとされ、京城を脱出&br;(レファレンスコード:B03050001800 10画像目、閔妃専横について大院君から一言あった由)|
|~|8|17|朝鮮国駐剳三浦特命全権公使御信任状并井上特命全権公使御解任状の件&br;(レファレンスコード:A04010013900)|
|~|~|20|7月6日の大院君の進言のとおり、宮内大臣に李載冕任免|
|~|9|1|三浦梧楼、韓国駐在公使として着任|
|~|10|7|朝鮮訓練隊解散予告|
|~|~|8|&color(#FF0000){''閔妃暗殺事件''};&br;(韓国王妃殺害一件第2冊)|
|~|~|10|王后閔氏を廃し庶人とする&br;(高宗実録乙未年八月二十日)|
|~|~|17|朝鮮国駐剳小村弁理公使御信任状並三浦特命全権公使御解任状の件&br;(レファレンスコード:A04010015800)|
|~|~|18|三浦公使を召還&br;政務局長小村寿太郎を弁理公使としてそのまま京城に駐剳&br;公使館員杉村書記官、堀口領事館補、萩原警部等に帰朝を命ず(原敬日記)|
|~|11|5|内田報告『[[明治二十八年十月八日王城事変顛末報告ノ件]]』|
|~|~|8|奉天(遼東)半島還付条約調印|
|~|~|12|広島地裁での審議終了日|
|~|~|28|親露・親米派、クーデターを起こすも失敗(注)&br;(レファレンスコード:A04010020500 李範晋・李学均・李允用・李完用・ダイ・米人宣教師ら)|
|~|12|4|奉天(遼東)半島還付条約公布|
|~|~|21|&color(#FF0000){内田定槌機密第51号発、1月4日収受};&br;(韓国王妃殺害一件第2冊)|
|~|~|26|&color(#FF0000){内田定槌機密第53号発、1月4日収受};&br;(韓国王妃殺害一件第2冊)|
|~|~|30|&color(#FF0000){内田定槌 公信第212号発、1月8日収受};&br;(韓国王妃殺害一件第2冊)|
|~|~|~|小村寿太郎、11月28日の王城事変について報告書作成&br;(レファレンスコード:A04010020500)|
|1896|1|14|第五師団軍法会議終了&br;(韓国王妃殺害事件軍法会議判決書(第五師団軍法会議)、軍法会議判決報告ノ件、軍法会議判決ノ件)|
|~|~|20|広島地裁において、閔妃暗殺事件に関する予審結審書発行|
|~|2|11|露館播遷&br;(レファレンスコード:B03050313500:B03050313700:B03050313900)|
|~|~|12|金弘集ら、路上で群衆に殺害|
|~|~|13|魚允中殺害|
|~|5|14|小村・ウェーバー協定&br;(レファレンスコード:B03041182100 2 韓国問題に関する日露両国間協商一件 1)|
|~|6|9|山県・ロバノフ協定&br;(レファレンスコード:B03041182100 2 韓国問題に関する日露両国間協商一件 1)|
|~|11|21|還宮陰謀事件&br;(韓国王露公使館ヘ播遷関係一件 レファレンスコード:B03050314000 7 明治30年2月20日から明治30年6月30日)|
|1897|2|20|高宗、慶雲宮に還る|
|~|10|12|大韓帝国へ国号を改める&br;(レファレンスコード:A04010035200 朝鮮国々号改称の件に付本邦駐剳同国特命全権公使李夏栄より通牒の件)|
|~|11|22|明成皇后の国葬&br;(レファレンスコード:A04010040600 韓国皇后陛下葬儀ノ節特派公使トシテ会葬被仰付タル弁理公使加藤増雄同国皇帝陛下ヘ謁見御信任状捧呈ノ際言上振並ニ同皇帝陛下勅答ノ件)|

~[注]李範晋・李学均・李允用・李完用らが、工馬隊二百人、刺客四十余人を率い国王に近づいて、直に諭旨を乞い、刺客を放って内閣大臣並びに當路重なる官吏十二名を殺し、新内閣を組織しようとした事件。

>バックには、露米両館、宣教師などがいた。
自白によれば、閔妃暗殺前に既に暗殺計画あり。

>事件において、最も重要とされたのは、軍部大臣趙羲淵と、警務使権■鎮の二名を排斥することであったが、内閣は11月26日で二人を罷免し、陰謀は既に半ば達した心地であった。 しかし、趙・権の二人は李範晋らの行動を注目し、陰謀があるのを知って、反間者を放っていた。 

>結果失敗。
李範晋ら、露米両館に逃げ込んだもの7〜8名
李完用らは、罪を免じて謹慎
ダイ、ニンステッド解任

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