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**danshiari/科学の子 [#q3b74c8e]
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みなさん、今日は科学のお勉強です。&br;
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「科学」といっても、難しいことはありません。&br;
簡単なことですから、しっかりと学んでください。&br;
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まず、最初の例文です。&br;
二人の人が会話をしています。&br;
&br;
A「犬という生き物は、空を飛ぶ生き物です」&br;
B「馬鹿なことを言うね。小学校から、勉強をやり直しなさい」&br;
&br;
AさんとBさんで、非科学的な発言をしているのは、どちらでしょうか?&br;
答えはBさんです。&br;
&br;
あれ? 何か変ですね。&br;
犬は空を飛ばないのに、Aさんの発言は、非科学的ではないのでしょうか?&br;
答えは簡単です。Aさんは、自分の発言が「正しい」とも「間違っている」とも言っていないからです。&br;
Aさんは、意味の無い発言をしているだけなのです。&br;
&br;
一方のBさんは、Aさんの発言を一方的に「馬鹿なこと」と決め付けています。&br;
そして、「小学校」だとか、「勉強をやりなおせ」とか、Aさんの発言と無関係なことを言っています。&br;
これは「科学的態度」とは言えないのです。&br;
&br;
さて、次の例文です。&br;
同じように、二人の人間が会話をしています。&br;
&br;
A「犬という生き物は、空を飛ぶ生き物です」&br;
B「あなたは、それを正しいと思いますか?」&br;
A「正しいと思います」&br;
B「どんな理由で、正しいと思いますか?」&br;
A「それは、このような理由です・・・(以下省略)」&br;
&br;
ちゃんと、科学的な会話になりました。&br;
でも、なんだか窮屈な感じですね。でも、科学的な態度で会話を進める為には、仕方がありません。&br;
もどかしく感じても、面倒な感じがしても、我慢しましょう。&br;
&br;
つぎは、ちょっと特殊な場合を考えて見ます。&br;
Aさんは、自分自身では正しいとも間違っているとも言いません。&br;
どうなるでしょうか?&br;
&br;
A「『犬という生き物は、空を飛ぶ生き物です。それは正しいです』と言った人がいます」&br;
B「あなたは、それを正しいと思いますか?」&br;
A「私には分かりません」&br;
B「それでは、次の3つのことを確かめてください。&br;

+そのことを言ったのは誰ですか?&br;
+その人は、どんな理由で、それが正しいと言っていますか?&br;
+他に、そのことを確認した人はいますか?&br;

  これらが確かめられたら、私もその意見が正しいと認めます」  &br;
&br;
なんだか大変なことになってしまいました。でも、とても科学的です。&br;
ここで大切なのは、三番目の内容です。これを「第三者による検証」と言います。&br;
この「第三者による検証」を受けていないものは、「仮説」と呼ばれます。&br;
「仮説」というのは、「正しいのか、正しくないのか、決まっていない」ことを言います。&br;
&br;
人は、誰でも自由に、自分の意見を言うことが出来ます。&br;
そして、「それは正しい」「間違ってない」と言うことも出来ます。&br;
でも、「第三者による検証」を受けて「正しい/正しくない」という判定を受けるまでは、それは「仮説」のままです。&br;
そして「第三者による検証」を受けて「正しくない」という判定を受けたのならば、その「仮説」は間違っていたことになってしまうのです。厳しいですね。&br;
そうです、科学とは厳しいものなんです。&br;
&br;
でも人間は、こうやって沢山の「仮説」を「検証」しながら、この世界を育ててきました。&br;
こつこつと、小さなことを積み上げて、今の知識や社会や技術をつくりあげてきました。&br;
&br;
確かに、窮屈な感じがします。とても面倒です。非常に厳しいです。&br;
それでも私は、それが必要なときには、科学的でありたいと思います。&br;
皆さんも、そうは思いませんか?&br;

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