神皇正統記


 韓国人が出す資料で、桓武天皇が天皇家の出自が三韓であると書かれた本を焼いてしまった、と言う主張がたまに見られます。その根拠となるのが北畠親房の『神皇正統記』なのですが、実際に、その記述を見てみると、確かに以下のような記述がありますので掲載します。

『神皇正統記』 応神天皇条  第十六代、第十五世、応神天皇は仲哀第四の子。御母神功皇后也。胎中の天皇とも、又は誉田天皇ともなづけたてまつる。庚寅年即位。大和の軽嶋豊明の宮にまします。此時百済より博士をめし、経史をつたへられ、太子以下これをまなびならひき。此国に経史及文字をもちゐることは、これよりはじまれりとぞ。異朝の一書の中に、「日本は呉の太伯が後也と云ふ。」といへり。返々あたらぬことなり。昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、桓武の御代にやきすてられしなり。天地開て後、すさのをの尊韓の地にいたり給きなど云事あれば、彼等の国々も神の苗裔ならん事、あながちにくるしみなきにや。それすら昔よりもちゐざること也。天地神の御すゑなれば、なにしにか代くだれる呉太伯が後にあるべき。三韓震旦に通じてより以来、異国の人おほく此国に帰化しき。秦のすゑ、漢のすゑ、高麗百済の種、それならぬ蕃人の子孫もきたりて、神皇の御すゑと混乱せしによりて、姓氏録と云文をつくられき。それも人民にとりてのことなるべし。異朝にも人の心まち<なれば、異学の輩の云出せる事歟。後漢書よりぞ此国のことをばあら<しるせる。符合したることもあり、又心えぬこともあるにや。唐書には、日本の皇代記を神代より光孝の御代まであきらかにのせたり。さても此御時、武内大臣筑紫ををさめんために彼国につかはされける比、おとゝの讒によりて、すでに追討せられしを、大臣の僕、真根子と云人あり。かほかたち大臣に似たりければ、あひかはりて誅せらる。大臣は忍て都にまうでて、とがなきよしを明められにき。上古神霊の主猶かゝるあやまちまししかば、末代争かつゝしませ給はざるべき。天皇天下を治給こと四十一年。百十一歳おましき。

 「三韓震旦に通じてより以来、異国の人おほく此国に帰化しき。秦のすゑ、漢のすゑ、高麗百済の種、それならぬ蕃人の子孫もきたりて、神皇の御すゑと混乱せしによりて、姓氏録と云文をつくられき。」と有る事から解るように、帰化人は自分の出自を有名な人に結びつけることがあり、秦の始皇帝の末裔(弓月君)や漢の高祖(西文氏)、霊帝の子孫(東漢直)などの子孫と称する氏族がいました。更には、それを天皇と結びつける人もいたようです。

 そのため、姓氏録を整備し、氏姓をきちんと記録する必要があったということです。「三韓と同種」というのは謬説であるために、そのような誤りを書いた書は焼いた、としているわけですね。その具体的な例の記述も存在します。

『日本後紀』 巻十七 大同四(809)年二月辛亥条 辛亥 勅 倭漢惣歴帝譜圖 天御中主尊標為始祖 至如魯王 呉王 高麗王 漢高祖命等 接其後裔 倭漢雑糅 敢垢天宗 愚民迷執 輙謂実録 宜諸司官人等所蔵皆進 若有挾情隠匿 乖旨不進者 事覚之日 必処重科

 倭漢惣歴帝譜図という書物では、日本の神様が中国や高句麗の祖先だ、なんて馬鹿馬鹿しいことが書かれている書があるので処分すると書かれています。    桓武天皇の『焚書』、新撰姓氏録の編纂の背景はかくの如くであり、「三韓と同種」という単語にだけ興味を惹かれたり、新撰姓氏録には天皇家の出自が朝鮮である記録が隠されている、などという主張が如何に内容とかけ離れた主張であるかお分かりいただけるでしょう。

 しかし、渡来系の出自の詐称、混乱>焚書>姓氏録の整備という流れなのに、新撰姓氏録を『天皇が百済人である』との根拠に使おうという方がいるのは、全く理解できませんね。


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Last-modified: 2006-10-25 (水) 23:09:43 (4312d)