insectmania/染井吉野(王桜)の起源は一体どこか?(予報)


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江戸時代後期より江戸(現代の東京)を中心に裁植・鑑賞されるようになったソメイヨシノ(someiyosino、王桜、P.×yedoensis)の起源については諸説ある。

日本では竹中要(Kaname Takenaka 1965)の交配をもとにした育種学的な研究から始まるソメイヨシノ(P.×yedoensis)はオオシマザクラ(P. lannesiana)とエドヒガン(P. pendula)の雑種とする説が支配的だが、韓国では小泉源一(Genichi Koizumi 1932)が済州島でソメイヨシノに良く似た性状の桜を発見したことから始まる済州島起源説が有力な説として受け入れられている。

毎年春になると、韓国人諸氏は「王桜の起源は韓国のチェジュ島である」と主張するthraed を立て、日本人諸氏はその投稿に対し「染井吉野は雑種起源で韓国が起源という事はありえない!!」と激烈な攻撃を加えるのがnaverの春の風物詩である。

私はnaverに来るようになって、このP.×yedoensisの起源問題に興味を持ち、いったい日本側、韓国側どちらの主張する説が正しいのかどうか検証するため、この桜の起源に関する論文を少々集めて読んでみた。
論文の収集はまだ端緒についたばかりでまだP. ×yedoensisの起源に対して最終的な結論を出す段階にはきていないが、なかなかに興味深い「ある資料」を見出す事ができた。この「ある資料」に対する議論はこれまでnaverで行われたことは無いため、ここで提示し韓国人、日本人諸氏の意見を聞いてみたい。




「染井吉野(P. ×yedoensis)は伝え言うところによるとオオシマサクラ(P. lannesiana)を母として作り出したというが、その技術者は都下染井の植木屋伊藤某なる者で、この人が数年の苦心のすえ、数千本の新品を作りだし、これを売り出しに際し、吉野のサクラといった。

当時は交通が不便だったので、吉野山(サクラの名勝地として有名な京都の山)の花の美しいのだけを聞いて、いまだ、その花を知らざる江戸の人達は、この花の美しいのにみせられて、吉野山のサクラは、こんなに美しいのかと、我も人もこのサクラを買って植えた。

たまたま、関東一帯の地味気候がこの品種には適していたので、たちまちにして大木になり、江戸一帯に広がってしまった。いらい、ヨシノサクラは関東の地に広まり、従来のヤマサクラ(P. jamasakura )のごときは、かたすみに追いやられてしまったのである。

明治になって学者間にこのヨシノなるものが吉野山のサクラとはちがっているのに気がつき、とくに染井の二字を上につけてソメイヨシノサクラとしたものである。

吉野山の桜は、普通のヤマサクラ(P. jamasakura )であるから面白い。」


この資料はサトザクラ(P. donarium)の品種の研究で高名な船津金松(K. Hunatsu 1966)によって「採集と飼育」という日本の学術雑誌(日本文)に投稿されたものである(論文題目:ソメイヨシノの作出者 Who raised Prunus yedoensis Matsum.)。
これは竹中要(Kaname Takenaka)の「P. ×yedoensisはオオシマザクラ(P. lannesiana)とエドヒガン(P. pendula)が同所的に分布する日本の伊豆半島において偶然、自然に交配してできたものだ」という推定に対する反論として出された論文で、船津金松はこの資料を彼の祖父で同じくサトザクラ(P. donarium)の研究家であった船津静作(Seisaku Hunatsu 1858〜没年?)の研究ノートの一部として紹介した。

この資料には2点重要な点が含まれている。
まず
「ソメイヨシノP. ×yedoensisは人工的に作り出された」という点。
次に、
「ソメイヨシノは江戸の染井で作り出された(品種化された)」という点である。

これは韓国人諸氏が主張する「チェジュ島がソメイヨシノの起源地だ」という説にまっこうから対立する。
あくまでもチェジュ島がソメイヨシノの起源地だとするなら、この資料から導き出される説は否定されなければならない。



・・・・・さて、皆さんの意見は?



添付ファイル: filesomeiyoshino.jpg 202件 [詳細]

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Last-modified: 2006-02-28 (火) 00:54:15 (4552d)