jpn1_rok0/jpn1_rok0先生の大韓国史


 昔々、朝鮮半島の先端部に百済というちっぽけな小国がありました。面積は日本の四国ほどしかないチンケな国でございました。百済は小国だったので、高句麗や新羅、それに中国の北朝の脅威を常に受けていました。百済は北朝と対立する南朝と倭に事大して何とか国家を運営します。まあ、清と島津の双方と属国関係を結んでいた琉球王朝のようなもんだったとでも言いましょうか。

 資源もろくにない小国の百済が南朝や倭に安全保障上の協力を要請するには、無料でというわけにはまいりません。百済は南朝に朝貢しまくります。何度も何度も何度も朝貢をします。そして、南朝から仏教・儒教・技術者・画家などを下賜されます。百済はその情報や技術を倭に横流しして食いつなぎます。まさに自転車操業です。田舎の経営不振の町工場でもここまでの自転車操業はしません。  韓国人はこれを「百済の経済圏は中国から倭まで!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!
 実際には事大した範囲と言うのが正解です。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 さて、そんなこんなで百済国内。混乱しまくりです。王権は低下し、国王の権威なんかあったもんじゃありません。武将たちは「誰のおかげでお前が国王やってられると思ってんだ?あーん?」と言い始めます。権威のない百済王は、将軍たちを押さえることができません。そこで必死に南朝の皇帝に表文を書きます。「僕の部下も王様や諸侯にしてください。頼みです〜。」

 韓国人はこれを「百済王は大王で部下に侯王を持つ皇帝国だった!七支刀マンセー!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 表文を読んだ皇帝はこう返事をします。「将軍は将軍でしょ?王でも侯でもないよね。ダメ。却下。」ちなみに侯王とは、諸侯と王という意味であって、侯王という身分や称号はござません。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 一方、倭王は「お前たちを信用できないから誠意を見せろ」なんて言ってきます。そこで百済は何度も何度も何度も王族を人質に差し出します。中国の歴代王朝でも人質を差し出した例はありますが、その多くは将軍や高位の政治家などで、王位継承権者を人質に出すのはよほどのことでございます。そんなわけで百済の人質がやってきます。それから暫くして、天皇に白い雉が献上されます。天皇は何げなく周囲の人に尋ねました「これって何か意味あるの?」人質は答えます。「後漢の時代に白い雉が見つかったそうですよ」天皇は答えます。「あっ、そう」。隋から帰国した学問僧の旻は、中国の歴史を色々と解説し、白い動物が出現するのは瑞兆であり、めでたいことであると説明し、人質と学識のレベルが違うことを見せつけます。天皇はそれを聞いて改元を決めます。

 韓国人はこれを「百済の人質は天皇の政治顧問だった」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 単に「白い雉って何よ?」と聞かれただけです。ちなみに百済の人質は政策に関する話なんか一切しておりません。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 やがて、隣国の新羅が唐と同盟を組みます。唐は新羅を従えて高句麗を滅ぼします。高句麗あっさり滅亡。その少し前、唐と新羅は百済にも襲いかかります。天皇は「朝鮮半島ってダメ臭いから唐と国交しておくか」と遣唐使を派遣して唐と国交を結びます。ええ、属国じゃないから冊封なんか要求しません。ごく普通の独立国同士の外交でございます。天皇は「唐との国交樹立は成功したものの、朝鮮半島に緩衝地帯は欲しいよね」なんて考えます。日清戦争で日本が考えていたようなことを当時も考えていたわけです。そんなことを考えているうちに、百済王があっさり死にます。情けないです。そこへ百済の遺臣がやってきて、涙ながらに「百済王を冊立したいので人質の王子を帰国させてください〜たのみです〜」と言います。天皇は、朝鮮半島に緩衝地帯が欲しかったので、人質の百済王子に護衛を付けて送り返します。

 韓国人はこれを「百済が上国だったので、護衛をたくさん付けた!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 1943年のイタリア降伏後、ナチス親衛隊がムッソリーニを救出して保護したことは、ドイツがイタリアの下国だったからではございません。ムッソリーニに利用価値があると考えたので護衛して保護しただけです。百済の王子を護衛したのもこれと同じですね。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 朝鮮半島に緩衝地帯を確保するべく、倭の輸送船団は約27000人の兵を載せて出撃します。目指すは白村江。現地では百済軍が橋頭堡を確保している算段です。まあ、朝鮮戦争で釜山橋頭堡を増援にいくアメリカ軍みたいなもんだと思えば良いでしょう。ところが、現地に着くと百済軍がいません。というか仲間割れを起こして勝手に崩壊。アメリカ軍が釜山橋頭堡に着いたときに橋頭堡が無かったらどうなったでしょう。解りますね。増援なんかできません。上陸できない倭の輸送船団は唐の艦隊に捕捉され、撃破されてしまいます。

 韓国人はこれを「倭軍は弱かったですね!百済を守れませんでしたね!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 百済軍が無能で計画通りの行動が出来なかったことが原因でございます。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 こんな次第で、百済は自らの無能を原因として、その300年ばかりの歴史の幕を閉じます。天皇の間違いは、ヒトラーがイタリアのファシスト党の残党に期待して失敗したように、百済の残党を当てにしちゃったことでございます。でも、天皇がヒトラーより上手だったのは、裏でちゃっかり唐と国交を結んでいた事です。唐は、何故か日本に侵攻せずに下僕である新羅を攻撃し始めます。新羅、あっさり唐に事大。ここから1000年属国の栄光が始まります。日本は遣唐使を主体にし、新羅にも遣新羅使という使臣を派遣します。

 韓国人はこれを「日本の古代国家形成に新羅が主要な地位を占めた!」とホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 遣新羅使程度で古代国家形成に大きな影響が及んだというなら、新羅が日本に送ってきた新羅使の規模が遣新羅使の2倍以上だったので、日本が新羅に及ぼした影響の方が大きくなってしまうのでございます。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 安史の乱など、唐の衰退を見て日本は9世紀末には「もう唐から学ぶものなんかないよね。コストばかりかかって意味ないし」ということで、遣唐使をやめて、今まで唐から学んだものを基礎に日本風の文化を発展させます。まあ、この辺が江戸時代まで続く日本独自の文化が大成するきっかけです。新羅は唐が衰退しても忠犬のように事大し続けますが、唐が滅亡するころに自らも崩壊します。担任の先生がいなくなった小学校低学年のクラスみたいな状態です。で何故か唐突に後三国発生。共食いを始めます。

 そんな共食いを横目に日本は「後百済?何それ?」とガン無視して平安の雅を楽しみます。高麗が共食いに勝ち残って建国した頃、日本では女流作家が長編小説や随筆を書き、多くの文人や歌人が日本文学を発展させます。半島の小説?そんなものありませんよ。この時代。だって勢力争いの共食いしかしていないんですから。建国した高麗は、契丹に襲われて朝貢を強要されたりしていたものの、中国大陸の混乱により事大先が決まらなかったので、この短い一時期だけは属国にならなかった時期があります。

 韓国人はこれを「高麗は皇帝国!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 そんなこんなで中国では宋が成立します。高麗、いきなり表文を送って属国の名乗りを上げます。皇帝国自滅。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 宋は文化が非常に発展した国でしたが、戦争は弱かったようで、モンゴルの侵攻によって押されまくります。はっきり言って、当時のモンゴルは全力でこの正面に攻撃しているわけではございませんが、宋滅亡。高麗にもモンゴルの攻撃が向けられます。

 韓国人はこれを「モンゴルの侵攻をくい止めた高麗は偉い国!三別抄は頑張った!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 高麗王、あっさり降伏して国内の反モンゴル勢力狩りを始めます。偉い高麗はどこに行ったのでしょう?三別抄は追いつめられ、日本に事大します。「モンゴルが攻めてくるニダ!助けてください!援軍を送ってください〜頼みです〜。」白村江以降、半島人を信用していない日本は当然無視します。三別抄、同族に狩られて滅亡。高麗にモンゴルの統治機関が設置されます。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 さて、モンゴルの属国になった高麗ですが、モンゴルにも半島国家の伝統文化である人質を送ります。まあ、高麗人にとって中華ではないモンゴルの属国になるのは不本意だったようではあります。高麗に帰りたい人質の王子は必死。涙ぐましいほど必死です。モンゴルへの忠誠を切々と訴え、帰国させてくれるように哀願します。「汗様のいうことは何でも聞きます〜。日本を攻めろと言われれば全部自費でやります〜。軍隊も船も自分たちで調達します〜。」というわけで、服装もモンゴル服、髪型は弁髪にしてコスプレで媚びを売ります。それを見た家臣は情けなくて号泣します。まさに「哀号」です。

 韓国人はこれを「高句麗の伝統性をもった韓国人は伝統性を大切にしますね!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 余談ですが、李氏朝鮮の時代、必死に明の使臣に大接待(要するに賄賂)を行い、編纂中の史書から古代朝鮮の風習を削除してもらい、自ら伝統性を否定しております。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 そんなわけで、モンゴル人のコスプレが好評だったのか、あまりのイタさに同情されたのか、帰国を許された人質はモンゴル皇帝との約束通り、日本遠征を命じられます。自分が帰りたいという一心で「全部自費で遠征」なんて言ったものだから、約束の履行を迫られます。高麗には造船技術も資金もありません。でもモンゴルは情け容赦なく実行を迫るので、元から低い造船技術でさらに手抜きという酷い船がたくさん出来ました。  韓国人はこれを「モンゴル人が乗る船をわざと壊れるように造った!日本はそれで助かった!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 ちなみに、元の日本遠征、本物のモンゴル人の含有率は1%程度(弘安の役実績)でございます。残りは高麗人と中国北部の中国人。溺れた大半は自民族だったわけです。自爆ですね。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 そんなこんなで第1回目日本遠征開始となります。対馬・壱岐の前哨部隊を撃破した元とその下僕である高麗は、九州北部に上陸します。

 韓国人はこれを「台風のおかげさまで勝ちましたね!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 九州沿岸では待ちかまえていた日本軍と交戦しますが、海岸線から奥に侵攻できません。日本軍が頑強に抵抗したからです。夜になると日本軍は後退を始めます。あらかじめ予定されていた堅固な水城の陣地に入り、太宰府を防衛するためです。そのころ、筑後川を渡河して増援の日本軍大部隊が北上を開始、元・高麗軍いきなり形成不利。逃げることにします。逃げようとして皆が船に乗ったところに暴風襲来。大損害。あとは敗残兵狩りとなります。

 すったもんだで第2回目日本遠征です。今回も対馬・壱岐の前哨部隊を快調に撃破した元・高麗軍は6月上旬に九州北部に現れます。ところが、今回は九州北部の海岸線一帯は要塞地帯と化しており、上陸することができません。あちこちから何度も上陸を試みますが、そのたびに簡単に撃退され、志賀島では元軍指揮官があわや斬り殺されそうになるほど追いつめられ、また海へ逃げます。海へ逃げると日本軍が夜襲をかけてくるので、逃げ回ります。約束の南宋軍は全然来てくれません。そこで壱岐まで逃げることにしました。 壱岐へ逃げても日本軍の襲撃は続き、2ヶ月近く洋上を漂ったため、食料は欠乏し、船上では不潔と飢えのため伝染病が蔓延し、戦わずに3000人が死にます。撤退しようかという議論も起きますが、「フビライ様の命令ニダ、帰れないニダ」ということで、空腹と日本軍の執拗な追撃に耐えながら南宋軍を待ちます。洋上での漂流生活も3ヶ月になろうかという時、南宋軍が「やあ、待った?」と暢気に到着します。  さあ、10万の南宋軍と高麗の敗残兵4万で総攻撃です。長崎寄りから上陸してみましたが、上手くいきません。今度も船の上で待機です。そこへやってきました台風。南宋軍の船はあまり壊れず、修理して逃げ帰った者もいたようですが、安物の高麗船は今度も大被害。対馬まで日本軍に追撃され、命からがら逃げ帰ります。帰ることができた約半数はラッキーでした。船が壊れて帰れなかった南宋人と高麗人、そして若干のモンゴル人は敗残兵狩りの末に捕虜にされました。南宋人は武装解除の上釈放、船を与えて本国へ送還したので、これもラッキーでしたが、高麗人とモンゴル人は全員処刑。今の博多の海岸(現在のキャナルシティあたりか)で処刑祭りの始まりです。はじめは礼式に基づいて斬首の上梟首していたのですが、あまりの数の多さに「マンドクセーから略式」ということになり、切り落とした首を片端から那珂川河口に放り捨てます。河口は切り落とされた高麗兵の首が山積みになったそうです。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 そんなこんなでモンゴルの属国高麗も元の衰退とともに一時期は調子に乗って衰退した元を叩きに出るのですが、逆に紅巾族に叩きのめされて、てめえが衰退します。水に落ちた犬は叩く性格の李成桂将軍がクーデターです。李氏朝鮮発生、紅巾族に叩きのめされた記憶が鮮明なので、いきなり明に事大。生まれながらの属国natural born vassalです。属国として暢気に暮らしていた李氏朝鮮ですが、困った事が起きました。倭寇です。初期の倭寇は対馬などの漁民が交易のついでに略奪する程度のかわいいものだったのですが、中期以降の倭寇は国際シンジケートとなり、交易もするが交易が成立しない場合略奪もする武装商人集団と変貌します。朝鮮半島沿岸にいたのは、ほとんどがこの支部にあたる日本人のコスプレをした朝鮮の皆様です。武装商人としての倭寇の発生は、明の海禁政策の影響により、通常の交易が出来なくなった商人が武装化したものであり、明が海禁政策を緩和し、交易が活発化すると倭寇は衰退するという動きを見せます。  閑話休題、倭寇に手を焼いた朝鮮は海軍を派遣して対馬を襲います。当時の対馬の総人口約1300人。男子の人口その半分、それに宗氏以下若干の武士が駐留していたわけです。当時の口伝によれば、応永の外寇当時、倭寇たちは出航していて、残っていたのは宗氏以下の若干の武士と女子供、老人だったそうで、朝鮮の海軍を見て、倭寇たちが戻ってきたと思い、迎えに出た住民が襲撃を受けたと言われています。600人前後の島民と少数の武士が抵抗しますが、多勢に無勢、宗氏以下は講和を申し出ます。

 韓国人はこれを「対馬は朝鮮が占領した!朝鮮領土ニダ!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 対馬が占領されたという知らせは日本本国に届きます。時の足利氏は、「対馬占領は我が国本土への侵攻とみなす。全力で朝鮮を潰しにかかりますが?何か?」と朝鮮の使者を恫喝します。恐れおののいた朝鮮の使者は「対馬を領有するつもりなんか無いニダ!日本国王(天皇陛下じゃないよん)の代理として、わが朝鮮王殿下が日本国王(天皇陛下じゃないってば)の命令に従わない倭寇たちを取り締まっただけニダ!」という文書を残して帰ります。そして朝鮮軍は二度と対馬に来ませんでした。この時、九州北部から対馬を管轄する少貳氏は「お前ら皆殺しにするのなんか簡単なんだけどよ、国がお前らを帰すっていっているから見逃してやるよ」と激しい近代ぶりをアピールします。休戦協定を無視する李舜臣の不滅の前近代性とは比べるべくもありません。足利氏が朝鮮国王と同格の日本国王なら、天皇は何なんでしょうね?倭王でも日王でもなくなりますね。そう。天皇陛下です。

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 しばらくは、李氏朝鮮は安穏と暮らします。安穏としすぎて軍備を怠ります。そのころ、日本では戦国時代末期。軍備に怠りようがありませんでした。鉄砲の保有量世界最大の軍事大国。ところが戦国時代が終わりました。さあ、仕事が無くなったウォーモンガーたちの失業対策をしなくちゃなりません。関白秀吉は海外市場に目を付けます。「これからは中国市場だぎゃ」ということでストロー大国朝鮮に「いつものストローぶりを見せてちょうだい」と頼みますが、明の属国としては明への攻撃を看過できませんので、朝鮮は日本軍の通過を拒否します。朝鮮出兵が開始されました。弱すぎです。あっという間に城は次々と陥落し、王は都を捨てて逃亡します。あまりの弱さに宗主国の明は朝鮮に対して「自分ら、もしかしたら日本を手引きしてるんちゃうか?」という拭いがたい疑惑を持ちます。

 韓国人はここで「李舜臣将軍は日本の船団をバタバタとなぎ倒し、23戦23勝!」とホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 李舜臣全勝のはずですが、日本軍15万9000名は無事に釜山に上陸します。朝鮮海軍、日本軍の上陸阻止作戦失敗。李舜臣の戦い、戦争になんら寄与せず。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 さて、朝鮮出兵は、EnjoyKorea?上ではある意味語り尽くされているので詳細はスルーして、「我が属国朝鮮に対する侵攻は、我が本土への攻撃と見なす」という宣戦布告で明軍到着。明軍は不甲斐ない朝鮮軍を指揮下に入れます。ロンメルが北アフリカで役立たずのイタリア軍を指揮下においたようなものですね。今流行の戦作権、当時から無かったようですね。そんなわけでドイツアフリカ軍団ならぬ明朝鮮軍団と日本軍の戦闘は文禄・慶長と2回にわたって繰り広げられ、李如相麾下の明朝鮮軍団は戦勢を支配します。

 韓国人はこれを「朝鮮軍と義兵が倭軍を破りましたね!」とホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 調子に乗った李如相麾下の明朝鮮軍団は小早川隆景の策に嵌り、碧蹄館で撃破されてしまいます。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 そんなこんなで、明も国内が混乱していたこともあり、日本軍も総指揮官の秀吉が死んだこともあり、手打ちとなります。外交権のない朝鮮に交渉権はありませんでした。属国ですから。  韓国人はここでも「李舜臣将軍と義兵が倭軍を破りましたね」をホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 明の朝鮮に対する評価は厳しいものでした。明史には「日本の侵攻から7年、朝鮮全土は蹂躙され、中国・朝鮮連合軍は莫大な兵を失い、莫大な糧秣を失ったにも関わらず勝算はなかった。運良く秀吉が死んだので、日本軍による災いは去った」と記録され、明の皇帝は朝鮮王に「恥を知れ。日本は去ったが、その軍事力は健在である。二度とこのような失態がないよう、明の救援に感謝するとともに、臥薪嘗胆、国の守りを怠ってはならない」と訓辞をします。しかも記録には「朝鮮は明に助けて貰ったのに、謝礼も送ってこない」という厳しい一言も付け加えられます。

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 &ホルホルやめ、パンツ上げ

 日本の侵攻が終わったのもつかの間、衰退しつつあった時に不甲斐ない属国のために外征をした明の負担は大きく、その滅亡の一因となります。そんな弱体化した明に対し、朝鮮半島のお隣である満州の女真族が蜂起したのです。国号「後金」、後の清です。明を圧迫する清は、朝鮮に服属を求めます。明の忠実な属国である朝鮮は、「人質を差し出して朝貢し、明との戦争に兵力を差し出せ」という要求を拒否します。そんなこんなでホンタイジ親征。朝鮮は女真族に蹂躙され、必死に引きこもっていた朝鮮王仁祖は、降伏してホンタイジの前に引き出されます。

 韓国人はこれを「偉い朝鮮は清とも対等に戦った!朝鮮は清を野蛮人とバカにしていた!明は中華だけど清は中華じゃない!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 そこでホンタイジは「まあね、君をぶっ殺すのなんて簡単なんだけど、優しいボキは許してあげるよ。ただし、明の属国だった時と同じように、ボキの家来になるんだったらね。」と言います。仁祖は三度跪いて九度地面に頭をこすりつけて感謝し、服属を誓います。李氏朝鮮の258年にわたる清の属国としての歴史の始まりです。もちろん、清にも人質は差し出します。そして朝鮮軍は、明をあっさり裏切って、明との戦争に参戦します。大中華を小中華が攻めたわけです。衰退した明にはもはや朝鮮ごときの雑兵を打ち払う力も残っていませんでした。そんな明からは、「あいつら属国だったくせに、略奪や残虐行為は女真族以上!」とその蛮行を讃えられています。朝鮮の儒教道徳なんてこんなもんです。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 当時の、日本は江戸幕府が開かれ、江戸時代に突入してちょっとたった頃。徳川将軍家は自己の権威化のために、将軍の代替わりの時に朝鮮に挨拶をさせようということを思いつきます。江戸時代の朝鮮通信使の始まりです。  韓国人はこれで「倭人は朝鮮通信使を神のように仕えた!」とホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 外交上、朝鮮通信使は歓迎されておりますが、これは日本の国力を誇示するためであって、朝鮮を尊敬していたわけではございません。日本が朝鮮より下位である場合、朝鮮王が清の使臣に迎恩門で土下座したように、天皇が対馬まで行って朝鮮通信使に土下座するところですが、そんなことはしておりません。朝鮮通信使が将軍の前で四方拝という朝鮮土下座文化の神髄を披露しております。 そもそも、朝鮮通信使が送られてきた理由は以下のようなものです。朝鮮出兵の停戦後、停戦協定に従って、明軍は本国へ撤退を開始します。すると朝鮮は「明軍がいなくなったらまた日本が攻めてくるニダ!帰っちゃイヤニダ!」と恐れおののきます。それでも明軍が撤退すると、「日本に事大するしかないニダ!」と考えます。ところが、「日本と勝手に国交をしたら明から叱られるニダ!」というジレンマに陥ります。朝鮮軍や義兵が強かったら、こんなに恐れおののく必要はなかったのは言うまでもありません。日本からの朝鮮通信使派遣要請は、清国の日本との国交容認と併せて、朝鮮の恐怖を緩和するために必要だったのですね。朝鮮通信使を送ってきた理由はこれなんですね。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 さて、戦国時代が終わり、軍人である武士の官僚化を目指す徳川幕府は、儒学、特に朱子学を奨励します。ところがその実態は、文官による統治を理想とする儒教を武人政権である徳川幕府がそのまま導入することは不可能であるので、都合良く曲解したり、部分抽出したりという代物です。つまり、国家体制としての儒教は江戸時代の日本には存在していないわけです。教養と心構えの問題ですね。要するに。

 ここで韓国人は「朝鮮通信使が未開な倭人に先進的な朱子学を教えましたね!」とホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 ちなみに朱子学は、宋の時代の中国で始まった学問であり、朝鮮通信使派遣以前に日本に伝わっております。また、江戸時代、朝鮮通信使が先進的な中国の学問を伝えたなどと言われておりますが、日本は清から大量の学問書、文芸書などの書籍を輸入しているほか、長崎には多くの中国人が居住しておりましたので、ごく稀に来る朝鮮通信使が持ってくる情報とは比べものにならない多くの情報が長崎や堺などから日本に流入しております。その情報量の多さは現在の日本でも親しまれている「水滸伝」「三国演義」「西遊記」「紅楼夢」「聊斉志異」など明・清代の小説が江戸時代に大流行していることからも解りますね。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 そんなこんなで19世紀です。西欧は帝国主義の時代に入り、植民地争奪戦の様相を呈します。そんな時、中華思想と事大主義の清と李氏朝鮮は、安穏と暮らします。英国の実力も知らない清は、英国からの朝貢を受けて、ホルホルしておりました。そんな時、清の属国であったベトナムはフランスに奪われ、清と薩摩の両属にあった琉球は日本に帰属します。清の属国第2位と第3位がレースから脱落です。李氏朝鮮、属国筆頭を独走で誇らしいですね。さて、そのころ清の本国では、アヘン戦争が起こり、清国は惨敗、半植民地化といわれる状態になります。

 さて、日本にもアメリカの黒船をはじめ、ロシア、フランスなどの軍艦が接近し始めます。世界情勢と日本の国力を正しく判断した日本は、欧米との争いを避け、その技術を取り入れて近代化することを選択します。

 一方朝鮮は、属国筆頭確定でホルホルの真っ最中です。アメリカの武装商船やフランスの艦隊と紛争を起こします。アメリカやフランスは紛争が起きた地域の朝鮮兵をなぎ倒して帰還します。アメリカやフランスが帰還した後、李氏朝鮮は海岸一帯に「和議を結ばない」という旨の斥和碑という石碑を並べてホルホルします。EnjoyKorea?韓国人によるスレッド終了後の勝利宣言に似た行動がここに見られます。

 韓国人はこれを「朝鮮は日露戦争以前に白人の帝国主義に勝利していた!」と脳内変換してホルホルします。
さあ、韓国人ホルホル始め!

 アメリカもフランスも朝鮮と戦争をしたという認識は全くございません。韓国人の論理で言えば爆撃機が好き放題に目標を爆撃して、全弾無事に投弾した後に帰還しても撃退した事になってしまいます。

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 ホルホルやめ、パンツ上げ

 日本が近代への道を邁進している時、朝鮮は自主的に、主体的に、自らの意志で、誰に強要されることもなく、清の属国たらんとして行動し、自ら停滞と破滅の道を選択したのでございます。まあねえ・・・判断甘いよね、ということです。

 これ以外の朝鮮半島の歴史ですか?日本に関係ないし、世界史にも決定的な影響を与えたものなんか皆無といって良いから省略でいいんじゃないですかね。


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Last-modified: 2009-06-17 (水) 01:03:31 (3289d)